レバノン共和国 LBN/LB
Lebanese Republic
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縦横比 2:3
制定日 1943年12月7日
ベイルート[Beirut]
1.0万Km2
609.4万人
地中海東岸にあり、南北約216km、東西約50kmの帯状領土。北と東にシリア、南にイスラエルと接している。
ベイルート (13.1度/1月・25.7度/7月)
ほとんどの地域が地中海性気候で、短く温和な冬と高温で非常に乾燥する夏がある。雨は冬季に集中し、山岳地帯では雪が降ることもある。
古代フェニキア人の根拠地で通商の中継地として栄える。7世紀にはイスラム圏内になったが、キリスト教の影響も残った。16世紀にはオスマン帝国の支配下に。
1920年
第一次世界大戦後、シリアの一部としてフランスの委任統治下に入る。
1943年
アラブ連盟に加入。
第二次世界大戦後は、貿易中継地、中東の金融センターとして栄える。
1970年
ヨルダンのパレスチナ弾圧に伴って、パレスチナ人がレバノンに流入した。
1975年
内戦が勃発。
1978年
イスラエル軍に侵攻される。
1982年
再びイスラエル軍に侵攻される、西ベイルートが制圧される。
1985年
イスラエル軍が撤退。PLOゲリラはアラブ8か国に退去。
1989年
ターイフ合意が採択される。仲介したサウジアラビアのターイフで開かれたレバノン国会で「レバノン国民和解憲章」が採択された。
104人(長期:95 永住:9)
アラビア語(公用語)・フランス語・英語・アルメニア語
アラブ人84.5%(レバノン人71.2・パレスチナ人12.1)・アルメニア人6.8・クルド人6.1
イスラム教59%(シーア派27・スンナ派27・ドゥルーズ派5)・キリスト教41(マロン派21・ギリシャ正教8・ギリシャカトリック5・その他のキリスト教7)
レバノン=ポンド
内戦以前は、ベイルートは中東の金融・ビジネスセンターとして繁栄。内戦後の経済は疲弊し、その立て直しに努力するも2006年のイスラエルとヒズボラの武力衝突でインフラに大きな被害が出た。GDP成長率は、2016年1.0%、2017年1.2%。失業率は、2016年6.8%。貿易は大幅な輸入超過。経済は観光業や不動産業、海外在住レバノン人による送金など。
外交は、隣国のシリアを含め、アラブ諸国とつながりが深い。旧宗主国フランスとの関係も緊密。宗教宗派が入り混じった国家で、ターイフ合意により、大統領はマロン派キリスト教徒から、首相はスンナ派イスラム教徒から選出されることになっている。
1992年
20年ぶりの総選挙を実施。
2000年
南レバノンの占領地帯に駐留していたイスラエル軍が撤退。
2005年
2月、前年に辞任したハリーリー前首相が爆殺される。前首相はシリア軍の駐留に反対しており、シリアが爆殺に関与したと疑われた。これを機に国民の反シリア感情が強まり、4月にシリアはレバノンを全面撤退する。
2006年
7月にイスラエルがレバノンを空爆・侵攻し、8月に停戦。
2009年
総選挙が実施され、反シリア派が勝利。
2016年
2014年から不在だった大統領が選出される。
国連レバノン暫定軍が2017年8月現在で、10,340人駐留。2017年11月現在で、約100万人のシリア難民が流入。
6.0万人
陸軍5.7万 海軍0.18 空軍0.16
ラフィーク・ハリーリー[実業家、政治家]
(1944年11月1日~2005年2月14日)
3回レバノンの首相を務めた。最後の首相退任の後に暗殺された。
カルロス・ゴーン[実業家]
(1954年3月9日~)
ブラジル・ポルト・ヴェーリョ出身(国籍はブラジル・フランス・レバノン)。両親はレバノン人。大学卒業後、ミシュランに就職。ルノーに引き抜かれ業績を回復させ、その後日産の業績も回復させた。東京地検特捜部に逮捕され、東京地検により起訴された。保釈中の2019年12月、日本からレバノンに逃亡。2020年1月2日に国際刑事警察機構により国際手配中。
ミドル・イースト航空 Middle East Airlines, MEA,
[IATA:ME ICAO:MEA]
本社:ベイルート
設立:1945年5月31日。ベイルート国際空港を本拠地にしていたが、同空港は2005年に暗殺された元首相のラフィーク・ハリーリーにちなんで“ラフィーク・ハリーリー国際空港”に改称された。
「我等全ては我が国のため、我が栄光と国旗のため」