オマーン国 OMN/OM
Sultanate of Oman
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縦横比 1:2
制定日 1995年
マスカット[Muscat]
31.0万Km2
483.0万人
アラビア半島東端に位置し、東北部はオマーン湾、南部はアラビア湾に臨み、西はイエメン、北部はサウジアラビア、アラブ首長国連邦と接している。また北部にあるムサンダム半島に飛び地もある。
マスカット (21.1度/1月・33.5度/7月)
国土の大半が砂漠気候。酷暑と乾燥が一年中続く。6月から9月にかけて日中は40度~50度に達するが、11月から2月にかけては気温も下がり快適になる。冬季でも気温は10度を下回ることがない。南部に関してはインド洋からのモンスーンの影響で湿潤である。
紀元前2世紀頃
アラブ人が南下して定住。
7世紀頃
イスラム教に改宗。15世紀頃まではインド洋交易で反映する。
16世紀~17世紀
ポルトガルによる支配が続く。
1650年
ヤールビ王朝がポルトガル人を追放して東アフリカまで支配する海洋王国を築く。
1749年
ブーサイード朝が始まる。
1856年
国土がオマーン本土とザンジバルに分割される。
1891年
イギリスの保護国となる。
1913年
内陸部と沿岸部の内戦が起こる。
1920年
内戦は、沿岸部が勝利する。(内陸部は宗教的指導者が支配しており、沿岸部は国王が支配していた。)
1960年
南部のドファール地方で反乱が発生し、1975年まで続いた。
1970年
クーデター発生。カブース皇太子が国王を追放し、鎖国主義から開国政策を展開する。また国名をマスカット・オマーン土侯国からオマーン国に改めた。
1971年
国連に加盟する。
156人(長期:156 永住:0)
アラビア語(公用語)・英語
オマーン人(アラブ系)48.1%・インドとパキスタン系31.7・アフリカ系
イスラム教89%(イバード派75・スンナ派8・シーア派6)・ヒンドゥー教5・キリスト教5・仏教
オマーン=リアル
石油関連産業が主産業。他に農業・漁業、観光業など。
1964年に石油が発見され、1967年から輸出が開始され、農業・牧畜中心の経済から大きく変貌した。
石油輸出国機構には非加盟。原油の埋蔵量は7.3億トン(2017年)。天然ガス埋蔵量は6,600億立法メートル(2017年)。
外国人労働者が多いため、オマーン人の雇用を促進する法律が制定されている。また石油依存型経済の脱却を目指している。
非同盟中立、善隣外交。湾岸協力会議諸国との関係強化。イスラム法が適用されている。
1980年
アメリカとの防衛協定を締結。
1991年
カブース国王が首相を兼任。
1996年
憲法に相当する国家基本法を制定。
1997年
国家評議会が設置され、二院制になり、女性の参政権も認められた。
2003年
政治改革や労働環境の改善を求めるデモ・ストライキが発生。
4.3万人
陸軍2.5万 海軍0.42 空軍0.5
王室近衛部隊0.64 外人部隊0.2
ブサイナ・ビント・タイムール[オマーン王族]
(1937年10月10日~)
神戸市出身。旧日本名:節子。オマーンの元国王タイムール・ビン・ファイサルと日本人の母親、大山清子との間に生まれる。母が病死し、元国王は節子を連れてオマーンへ戻った。1978年には母親の墓参りに日本を訪れたこともある。
(生年月日不明~) 東京都出身。旧日本名:森田美保子。1979年文化使節団としてオマーンを訪れ、イスラム教の教えに共感して改宗。1983年オマーン国籍取得。学校創りを考えるようになり、1990年に幼稚園を開園。現在は小・中・高の一貫総合教育学校の名門に。ニューズウィーク「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれる。
オマーン・エア Oman Air
[IATA:WY ICAO:OMA]
本社:マスカット
設立:1981年。オマーン政府が株式99%以上を保有する同国のフラッグ・キャリア。
「スルタンの賛歌」
1970年制定。1996年改編。2020年カブース国王の崩御で一部歌詞変更。
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